自分のことを傷つけた人は忘れるな!根に持て!

 私あんたらと友達じゃなかったのね、いや人としても扱ってくれてなくない?

 突然怒り狂った文章からスタートして失礼しました。

 皆さんは他人からされて傷ついたことはすぐ忘れるタイプですか?それとも一生根に持つタイプですか?

 私は根に持つタイプになりたいです。

 傷ついたことを忘れたら、また傷つけられる。傷ついたことを自分のために覚えておくのも大事かと。

 

事件簿:お昼休憩一発目の授業

 

 部屋にルームメイトがいてその後の授業が同じだった場合大体いつもその三人で一緒に教室へ向かいます。

 でも一人厄介な人がいて、鬼マイペース。どうやら彼女は最近カラコンに目覚めたようで、ぎりぎりまでずーっと準備にてこずってました。いつもなら出発している時間になっても、鏡の前で「上手くいかないわ」って呑気につぶやいてるだけ。いや、二人待たせてますから!いい加減諦めて眼鏡さっとかけろよ!と心の中で叫び続けてましたね。

 それでようやくコンタクト入ったと思ったら今度は持ち物の用意を始めて、しかも喋りながら!用意してなかったんかーい!!もう私笑ってまう。もう今日は遅刻確定だな、って諦めました。

 

 遅れ気味で教室に入っていったとき、ここで事件が発生!!!

 いつも三人横で並んで座っている席がもうすでに埋まっていて、残りの三人横並びの席は一番前の席だけ。しょうないか、と思いながら私先頭にその席に向かって歩いていきました。

 二人分開けて、私が手前から三番目の奥の席に到着して振り返ると、なんとその二人は後ろのほうの二人席に向かって歩いていきました。私一瞬理解ができなくて、後ろにも三人席があったのかと思い、一度二人のほうへ向かって歩いて行ったんです。

 そしたらなんとびっくり、正真正銘の二人席でした。その時、その子たちとの間にガーンとシャッター降ろしましたね。

 お互い見つめあって気まずい雰囲気になったので、私は満面の笑みで「二人で座ってー」って言って真反対の席にソッコー歩いて行って一人で座ってやりました。

 

 

 

 

PS

 人にやられたことってその時すごく傷ついても、時間が経ったり、またはその後優しいことをされて記憶が上書きされたりして、結構簡単に忘れてしまうし許してしまう。

 くだらないことなら全然忘れていいけれど、自分が大事にされてないのに気づかないふりをしてずっとその人といることって人生の無駄使いだなって思うんです。

 私は台湾に来て、上手く友達もできてない状況で、ルームメイトに依存しすぎているのかもしれないです。私の心は彼女たちにいつも100%向かっていて、どうやったらこの人たちといい関係を築けるかなってたくさん考えてきました。そして無意識にそれを相手にも求めていた。

 こうやって相手に依存すると、何度傷つくことをされても、それでもこの人たちと!って思って無理やり全て忘れたように振舞っちゃうんです、、、

 

 いちいちこんな小さい事で心が揺さぶられないような、図太い大人になりたいです。

 そして自分のために傷ついたことを忘れる、のではなく、傷ついたことを自分のために覚えておくのも大事かと。

コソ泥と一緒に住んで激怒って話

 お前に良心はないんか?

 私今寮生活なんですね、四人部屋。そんでその中に一人厄介なやつがいて、まあよく言えば同じ部屋の住人を家族だとみなしているやつね。探し物するとき人の引き出し勝手に開けられるし、机の上に置いてあるものなんてもうセキュリティーゼロなんだから。この前その子が別の子の化粧水を勝手に使って、さらに人の机に置いてあった小銭を勝手に自分のお金と両替してるとこを見て私はこりゃ警戒レベル上げなきゃいかんと思ったね。

 そんでですよ、私はまあ台湾人の中に一人だけ日本人ってこともあってその子も遠慮してんのか今までは引き出し勝手に開けられるぐらいの被害で済んでたわけ、勝手にもの使われたことはなかったのね。でも、ここ5日間ぐらいどうやら私のコンディショナーが勝手に誰かに使われているようで。というのも私使い終わったら毎度同じ位置に戻すんだけど、それが次の日お風呂入ってみると絶対違う場所に移動してるのよ、しかも誰かの毛そるやつとセットになっておいてあるのね、毎日毎日。いや、2、3日なら分かるよ。自分の使い切っちゃったのかなーって。もう一週間弱続いてるから!!いいかげんにして?ってかそんなに使いたいなら一言声かけて?まずなんで別に髪サラサラでもない私のコンディショナーを選んで使うん?

なんかね、使われることが嫌ってわけじゃないのよ、そりゃ死ぬほど使わないでほしいけど。でもさ、もっと耐えられないのが風呂入るたびにもやもやした気持ちになるの!!!移動したコンディショナー見るたびに、え?今日も?って。もう思い切ってそいつに言おうかな、聞いてみようかな、でも気まずくなるよな、ってずーっと迷って。使うなら一言声かけてくれよーーーーーーー。それだけでだいぶもやもやしなくて済むのに。一言、あなたのやつ、私も使うわよって、そうすりゃ公認の窃盗じゃない。どうせ泥棒になるんなら公認のほうがお互い気持ちいいじゃない。

 まあここまで言っておいてね、ほんとにそいつが使ってる証拠があるわけでもないんだけどね、まあ私はそいつ一択を疑ってしかいないけども。なぜなら前科があるから。あと他のルームメイトは美容系にがっつりお金かけてるから人のなんて、ましてや私のなんて使いたくないでしょ。もうここまで来たら仕返ししてやりたいよねえ。勝手に使うなって小さく書いておくとか、そのコソ泥と私しかわからない復讐。

 むかつくわー、ちょっとそういう人とは一緒に住みたくないです、もう何も信用できなくなっちゃうからさあ。だってちょっと想像してみてよ、コソ泥とルームシェアするってなったら気が気じゃないでしょ?常に目光らせてなきゃなんないんだよ。つかれるわーーーー。

でもコソ泥に家侵入されるんじゃなくて、もう一緒に住んでしまうなんて、人生でまたとない体験をできてるし、あと二か月で寮生活終わるし、ブログのネタもできたし、復讐考えるのちょっと楽しいし、まあ追放しないで許してやるか。まじ普通だったらぶちぎれてんだからね。その勇気がないからここに吐かせてもらいやした。さようなら。

四か月ぶりの母との再会で思ったこと

 1/13に台湾の冬休みが始まりました。(冬休み1/13-2/19。春休みはなし)台湾は1/1のお正月より2月頭の旧正月を祝うので、冬休みの時期も少し後ろにずれます。そんなわけで、年を越した最初の週から期末テストに追われ、人生で一番勉強をしたお正月を過ごしながら絶叫しそうになっていた生活からやっと解放された私は、何もしていなくてもにやけてしまうほど幸せを感じていました。嬉しいことに心躍るイベントはまだまだ続いて、なんと1/13-1/16に母が母の友達と共に台を訪れてきてくれることになりました。

 久しぶりの母との再会はすごく楽しみで、前日は胸の高まりで興奮して全然寝付けなかったです。親の元を離れてからまだたった四か月と少ししか経っていなくて、たいした成長もしていないだろうに、少しでも成長した自分を見せてお母さんに褒められたいという子供のような気持ちがわいてきました。

 寮で生活をしていると、当然周りは友達だけで自分のことは全て自分でやることになります。友達と夜遅くに夜食を食べてみたり、夜更かしして一緒に映画をみたり、家ではやめなさいと止められることをできる自由な生活は楽しいです。ある程度寮の生活にも慣れてきて、たった四か月しか経っていないけどすでに自立した大人になったような気持ちでいました。

 しかし、実際母に会えるということになると、褒められたい、甘えたい、といった気持ちがどんどん湧いてきたので自分でも少し驚きました。どうやらいつになっても親の前では子供でいたいという自分がいることに変わりはないようです。

 そしていよいよ対面の時、私はホテルのロビーで母の到着を待っていました。ずーっとエントランスのほうを見ていると、ついに母が友達とチェックインをしている姿を見つけました。すぐに私は走って行って、恥ずかしさと緊張を感じながらとんとんと母の肩をたたきました。実は私は二日前ぐらい前から「母は私を見て何を言うんだろう」とずっと不安に思っていたので、母がこちらを向いたときしっかり目を合わせることができませんでした。

 というのも、私は母との再会は小学校の頃の遠足よりもドキドキする本当に楽しみな出来事で、強いて言えばディズニーランドに行く前日と同じくらいはソワソワしていたんです。だから、もし母が私を見て「なんか小汚くなった?」とか「なんか太った?」などなど言ったもんなら私のディズニーランド級の期待は一気にしぼんでなくなってしまいます。それがすごく怖かったんです。ディズニーランドに行く予定だったのに、大雨で行けなくなったらめちゃくちゃ落ち込みます。もう最初から何もなかったほうがよかったんじゃないか、みたいな。だから私はすごく興奮していた半面、母と会うことが少し不安だった。期待が大きすぎる分、どうしても母にも期待しないではいられなかったんです。

 でも、母の反応はもっと純粋でまっすぐでした。母は私を見て、その後もずーっと見て、「会えたよー」と言って顔をクシャっとして笑い、その後もそのままずーっと私を見つめていました。ただただ「会う」時間を噛みしめていた母を見て、誰かと一緒にいれることってすごく幸せなんだなと心から思いました。

 台湾に来たばかりの時は、ほんとうにずーっと孤独に耐えることに必死でした。四か月たった今はホームシックになることもなくなって、割と孤独でいることも平気です。孤独であろうが何だろうが、とりあえず日々やることは大差ないんです。ただ、母といるほうが一秒一秒がちょぴっとあったかい。心の中の言葉を共有できるとその時間が温かくなります。だから、人と一緒に過ごせる時間はこれからもっともっと大事にしていきたいなと思った母との再会でした。母との出会いに限らず、台湾での新しい出会いでもその一つ一つを大事にして、ほんのり温かい時間を過ごしていきたいです。

台湾人と二人で行った高雄の旅

 私はこの前のクリスマス初めて台湾人の友達と二人で一泊二日の旅行に行きました。ある日私のルームメートがクリスマス一緒に遊ばない?と声をかけてくれてそれから二人で高雄へ行くことになりました。しかし、内気で普段話も多くない私は楽しみより不安と緊張のほうが勝っていました。なぜなら私の母はよく、「女子同士で旅行に行くと絶対仲が悪くなって帰ってくるから、気をつけな」というからです。特に「二人は要注意」だそうです。私は内心やばいと思いました。日本人の使い物にならない私は、このままでは会話もろくにできず、旅行の段取りも相手に任せっきりで、嫌われて帰ってくることになります。そんなわけで、誘ってもらっていくことになったものの、この旅行はあまり乗り気になりませんでした。

 実際行ってみた感想としては異なる国籍の友達と行く旅行は日本人二人で行く旅行とは全く別物だとわかりました。一番大きな差は相手も私がなにも役に立たないことを知っているということです。お互いの立場を理解しているから、友達も当然のように私のお世話をするように高雄を案内してくれました。行き帰りの高鐵のチケットをはじめ、ホテルの予約、旅行プランの作成(ありがたいことに私の行きたいところをもとに回り方を考えてくれた)まで全てちゃちゃっと一人で終わらせてくれました。

台湾人と旅行にいくといいことは他にもあって、例えば現地人しか知りえないちょっとお得な情報を教えてくれます。高雄の夜市で何を食べるか迷ったとき、「これはどこでも食べれるけどあれはここでしか食べれないよ!」と教えてもらうと、より深く高雄を味わえます。せっかく高雄に来たなら、そりゃあ高雄のものが食べたいです。お土産を吟味するときも、これは果たしてどこでも手に入るのかな?とか、ここで買ったほうが安いのかな?とか、そんな疑問を聞くとすぐに解決してくれます。

 他にも、観光客だけではとても入りにくい、現地人しか知らないような小籠包屋さんに連れて行ってくれました。そのお店は、椅子と机が道端に並べられていて、さらに厨房まで道端にあるという、とても簡易的なものでした。さらに机と椅子はとても汚れていて、前の人が食べ終わったところのお皿を片付けたら机を拭かずにそのまま次のお客さんが座っていきます。私にはなかなかレベルの高いお店で、一瞬入ることをためらったけれど、友達はそんなことも気にせずずんずん進んでいき、席に座ってから私も座るように呼んでくれたので、腹をくくって私も友達の隣に座りに行きました。一つ安心できたことは、そのお店に絶えず現地のお客さんが来ていて繁盛していたことです。食べ物屋さんがたくさん並ぶ台湾に来てから、お店を選ぶ基準の重要条件の一つがお客さんが多いこと、なので条件クリアと自分に言い聞かせながら小籠包を注文しました。

 さて、十五分ぐらい待っているとついに私たちの小籠包が運ばれてきました。待っている間にもお客さんがどんどん来て、行列を作り始めたため、もう机や椅子のことなどどうでもよくなってきて、味への期待が高まるばかりでした。一口食べてみると、確かに今まで食べたことのないほど柔らかくて、皮の部分がほんのり甘くてとてもおいしかったです。

 心配だった道中のおしゃべりも、TOEICのリスニングテストのように集中力を高めて無事意思疎通を図ることができました。二人で旅行に行くということはとても新鮮で、旅先で新しい体験をするだけでなく、一緒に旅をしているその人自身を知っていくことになります。同じ部屋に住んでいるので、寮生活の不満という共通の話題があって、とても盛り上がりました。ルームメートのトイレが長すぎるだとか、就寝時間が2時半で遅すぎるだとか。一緒に旅に出かける人となにか共通の話題があるということは重要です。(ちなみに、一日目に調子に乗って話しすぎたせいで、二日目は友達の話すスピードが速くなってしまってほぼほぼ聞き取れなくなり苦笑いで乗り切る一日となりました。調子に乗りすぎるのも要注意です。)

 日本人同士で旅行に行くと、誰か一人だけが地図を見たり電車を探したりする役割を負担する構図が出来上がってしまいがちです。これではその一人の負担が大きくてその人は当然不満に感じます。だからと言ってそれぞれが地図を見て道順を調べるのも意味がなくて、無駄にスマホの充電が減っていくだけです。だから私は複数人で旅行に行くときは役割分担を決めていくのが旅行を楽しむため秘訣だという結論にたどり着きました。例えばプランを考えてホテルをとる人、一日目地図を見る人、二日目地図を見る人、といった感じです。

 私は今回の旅に限らず、大学生活自体が旅行のようなもので、日々台湾の友達にたくさんお世話をしてもらっています。幸いなことに私の友達は日本を好きでいてくれている人が多くて、ほぼ全員が日本に旅行に来たことがあり、また行きたいと言ってくれています。その時の役割分担は私に回ってきて、私が友達を案内しながら一緒に旅行をしたいと思います。(友達の中には10回以上日本に来ている人もいて、私が行ったことがないとこに行っているような人もいますが。)

内向型の人は、話しかけられたら感謝する。

内向型の人で、話しかけられたときに緊張してしまう人は、「まず自分に興味を持ってくれた人に心から感謝」です。

 

私は内向型の人間です。内向型のといっても、別に人に興味がないわけではないんです。

日々生活している中で「あ、この人のこともっと知りたい。」と思う瞬間はあります。

でもそこから行動につながる確率がとてもとても小さい。行動力が極度に乏しい。

(話しかけた後のことを想像してしまって、会話を続ける自信なんて一ミリもないと気づくと話しかけられない…)

だからそうやってチャンスを逃した日は家に帰ってからまあまあ落ち込みます。

 

でもちょっと考えてみたら、そんな私にしか気づけないことが一つあると分かったんです!

「話し相手を尊敬し、感謝する心」です。

 

自分から人に話しかけることにエネルギーを使ってしまうため、普段はなかなか積極的に自分から口を開くことはできません。でも、私の友達は同じ空間にいるだけで気軽に私の名前を読んで何かを伝えようとしてくれます。

(がっつりパソコンに向き合ってイヤホンしている勉強中でもお構いなしに話しかけてくれることも多々あります笑)

 

今までは何気なく呼びかけに答えていたけれど、よく考えたら私はさぼって使っていないエネルギーを、友達は私に向けて使ってくれているんだということに気づきました。

 

そのことに気づいてからは毎回友達が私の名前を読んでくれるごとに、自然と感謝の気持ちがわいてくるようになりました。そうやって始まった会話は、以前何となくしていた会話よりもお互いに気持ちがいいものになります。

 

~番外編~

 

いつも友達に名前を呼んでもらって、毎度毎度感謝感激している内に、だんだん日々の会話のきっかけを意識するようになりました。そして、私もだんだん人に話しかけて会話のきっかけを作ってみたくなるようになりました。

台湾人の友達に比べたら10分の1ぐらいの割合だけれど(低すぎる)、前と比べてみると自分から積極的に会話を始められるように微力ながら進歩しています。

 

最後に、まとめておきます。

内向型で誰かに話しかけられたときに緊張してしまうような人は、まず自分に話しかけてくれた相手に感謝してみると、その後の会話がちょっぴり楽しくなるかもしれないです。

 

もしこのブログを読んでくださっている方で私と同じように受け身のコミュニケーションをしていることに心当たりがある方がいれば、ぜひこの考え方を取り入れてみてください。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

悩みの最終決断は人に頼らない。自分で自分に決断を下すということ。

悩みの最終決断は人に頼らない。自分で自分に決断を下すということ。

 

外向型の人間はだれかと時間を過ごすことでエネルギーを貯める。

内向型の人間は一人でいるときにエネルギーを貯める。そして、一人でないときにエネルギーを消耗する。

 

この前インスタを見ていたらこんな言葉に出会いました。

なんというか、救われた気がしました。

 

私はきっと内向型です。

家族や特定の友人など例外はあるけど、たいていの場合誰かと一緒にいるだけで、何も話していなくてもどんどん疲れていきます。一人で勝手にテンパって、相手は退屈してないかな?気まずくなってないかな?なんてずっと考えてます。

(きっと相手からしたらそんなことずっと気にされてるほうがよっぽど疲れますよね。)

考えずにはいられないんです。

 

でも、せっかく台湾に留学に来たならたくさんの出会いを経験するべきだという気持ちもあります。ここでしか得られない貴重な経験がたくさん散らばって、手を伸ばせば届くところにあるのに、自分の気持ちが足りないせいでそれを見て見ぬふりしてしまう。あー、すごくもったいない。

 

私の周りの台湾人は外向型が多いです。台湾では食事の時間を大切にする文化が残っていて、友達達は朝昼晩と全てみんなで食べています。(台湾は外食文化です。早いと朝5時ごろから朝ごはん屋さんが営業しています。)

部屋も一緒で、授業も一緒で、ご飯まで一緒なんです!

 

私も最初のころはとにかく必死に友達の後をついて行っていました。でも、だんだん疲れるようになってきて一人でご飯を食べる時間が増えていきました。

友達はちゃんと交流の場を持っているのになんで自分は留学に来てまでこうなんだろうと罪悪感が募っていくばかり。

 

そんな時この言葉に出会ったんです。

「外向型の人間はだれかと時間を過ごすことでエネルギーを貯める。

内向型の人間は一人でいるときにエネルギーを貯める。そして、一人でないときにエネルギーを消耗する。」

 

なんか、吹っ切れました。「そういうもんか」と。

 

誰かと時間を過ごすことでエネルギーがたまるからいつも一緒にいる。

決して友達でいるための義務で一緒にいるわけではない。

私の場合はエネルギーを貯めるための方法が違うだけ

 

そうやって考えるようになると、友達が夜遅くまで別の部屋で話し込んでいて、自分だけ一人でいても特に何も気にせず、さらには一人時間を謳歌できるようにもなりました。

 

悩んでいるときってどうしても外側に答えを求めようとしてしまいます。

例えば、当時一人でご飯を食べていた私は、親から「一人でいても大丈夫だよ」と許してもらえれば心が楽になると思っていました。

でも、外側からのアプローチってホントに微力なんです。私はとにかく持続性がないことを痛感しました。

自分が心の底から納得できてないと誰に何を言われても結局疑ってしまう。

だから、悩んでいるときは自分で自分の行動を判断しようとする姿勢を持つんです。

 

自分で自分の行動を判断するのはだれかに判断を仰ぐよりも時間がかかって、苦しい時間にも耐えないといけないかもしれないけれど、それが悩みの根本的な解決につながります。

 

終わりに、

「外向型の人間はだれかと時間を過ごすことでエネルギーを貯める。

内向型の人間は一人でいるときにエネルギーを貯める。そして、一人でないときにエネルギーを消耗する。」

この言葉が私の心を軽くしてくれたように、誰かがこのブログを読んで自分を判断する際のヒントになればいいなと思います。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。

他人に期待しないのは無理だけど諦めることはできる。~4人部屋寮生活で思ったこと~

他人に期待しないのは無理だけど諦めることはできる。

 

人間関係を円滑にするためには「他人に期待しないこと」

人間関係でストレスを感じているときによく引用される言葉です。

 

でもこれって頭で分かっていても実際いつもの生活に戻ったとたんできなくなる。

今日は大学の寮生活で人間関係に発狂しそうになった私がたどり着いた悟りの境地の話をします。

 

私は現在大学の寮(四人部屋!!)に住んでいて人間関係で何かと悩むことが多いです。

 

朝起きた瞬間からいつも誰かが寝ていて、起こさないように気を使ってあげなければならない。

心の狭い私は毎朝起きた瞬間から気を遣うのは、言ってしまえば「嫌なの!!」

カーテンをシャー!って開けて部屋中に大音量で音楽を流しながら学校行く準備したいです。

 

                                                                                                     

こんなことばかりを1、2か月考えてました。

 

ある日ビデオ通話で家族に、溜まりにたまった不満を吐き出していた時、

「まあ寮安いしね。」

と母が言いました。

 

そして私は、

「そっか、安いもんね。そんなもんだよね。」

と思いました。

 

なんじゃこの会話は!と怒られてもおかしくないくらいほんっとしょうもないです。すみません。

でも私は今まで愚痴を吐くたびに親からかけられてきたどの言葉よりも一番効果がありました。

 

それからも、寮での生活は相変わらずイライラすることが多々あります。

でも、その度に「まあ、安いし。」と思うとスッとモヤモヤがなくなるようになりました。

 

 

この言葉が持つ力って「諦めること」だと思います。

 

(ここからにゃは自身の“悟りの境地”の説明のため個人の判断で色々話します。)

 

そもそも他人に期待しないっていう状態は自分に念じてもなかなかできないです。

なぜなら他者にイライラして初めて期待していたことに気づくから、これってもう無意識に近いです。

 

つまり期待しない状態まで自分を導くには「諦める」という手順を踏む必要があります。

 

 

じゃあなんで「諦める」ことが「期待しない」状態につながるのか。

それは諦めることによって2つのことが可能になるからです。

  • 自分ではどうしようもないことを知ってただその状況を受け入れることができる。
  • 自分ではどうしようもないことを知って自分でその場を脱出する。

 

今日時点の私は、1に当てはまります。

まず一回諦めます四人部屋ではのびのび生活できないことが当たり前。なぜなら安いから。

そのあと期待しないマインドになります→寮で気持ちよく過ごせる可能性ないわ!

最後に、受け入れるまあゴキブリ出ないし、ちょっと我慢すればいいだけだからこのままでいっか。

結果私は寮という環境に期待しなくてよくなりました。

 

 

ちなみに2の場合はこんな感じです。

諦める四人部屋ではのびのび生活できないことが当たり前。なぜなら安いから。

期待しないマインドになります→寮で気持ちよく過ごせる可能性ないわ!

解決方法探す一人暮らしをする。朝起きたら休憩スペースに直行して一人時間確保。など

(こんな風に逃げ道を作っておくだけでも気持ちに余裕ができます。)

 

長くなりましたが、以上が私の今日たどり着いた悟りの境地です。

最後にまとめておきます。

 

人間関係でモヤモヤしたときは

  諦める→期待しない

ぜひこの手法を箸休めにでも使ってみてください!