予定のない午後八時からの脱出

予定のない午後八時が怖い。

 たまにあるんです。夕食を食べ終え、ふっと一人これから何をすればよいかわからなくなってしまう時が。寝るには早い、かといって思いつく予定もないので一瞬思考が停止します。そしてシーンとあたりが静まり返って、グオーッと自分だけしかいないことに気づく。思考がそこまで進んでしまうと、もう現実逃避するにはいられないのです。私はあわててスマホに手を伸ばし、元気をくれそうなあの人の顔を思い浮かべながら、画面の真ん中にいるYou Tubeのマークをぎゅっと押す。こうやって、時間を忘れようとする。

 

 以前読んだ穂村弘さんのエッセイ「もうおうちへ帰りましょう」(曇天の午後四時からの脱出)がとても共感できたので、それを真似て書きました。

 

 さて、最近ふと思ったんです。私って、馬鹿みたいに時間を軸に生きてるって。何かに熱中した後、思いふけった後、ふとした瞬間つい誰かに「今何時だっけ」、と尋ねてしまう。というより、なにをしていても時間が頭の片隅で私の足を持ってて、私をどこか遠い所へ行かせてくれないような感じです。別に、時間を気にするのが良くないというわけではないのです。むしろ、一人の社会人として生きていくなら基本の基と呼ぶべき態度であると思います。ただ、さして時間の確認をする必要がないような時でも(例えば予定がない午後八時)しばらく時計を見ていないとそわそわして意味もなく時間を知りたがってしまうのは、なんだか自分で自分を恐ろしくなります。時間を管理する必要があるのは社会人としての私の時であって、私は、それが全てではないはず。私には、もっとばらばらの表情があって、部屋で過ごすときなんかに顔を出すはず。けれど朝起きてから寝るまで、休みの日まで、時間を気にしていたら、それはもう社会人の私が私本体を侵食していってることになりません?えー、恐ろしい。

 思い返してみれば、子供のころ公園でかけっこの「おに」になって走り回ってるとき、時間を気にしたことなんてないんです。昔は一日を終えるために時間を潰す、なんてつまらない考えもなかった。時間を気にしないと、自分の感覚が研ぎ澄まされて行って、どんどんマイワールドにのめりこんでいって、とっても楽しい。あー、なつかしい。

 よし、今夜は時計を伏せて寝ようじゃないか。